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2008.9. 2.Tue

中風明世

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中風さんは岐阜市に住んでいらして、中風美術研究所を主催している。
教え子に圧倒的な人気で、「中風明世を愛しているか?」というサイトのコミュまである。
一見、どうということない風貌の彼だが、話はおもしろく、大きなへまをやらかすところも、案外、魅力なのかもしれない。実際は、知識も豊富で、人間的な魅力に溢れ、頭脳も明晰な方なのであるが、それが
表立ってでないのだから、人気者になるのもうなずける。
笑いっぱなしの展覧会で、中風先生は引っ張りだこであった。

2008.9. 5.Fri

さっちゃんの遺作展

今日は,岡田幸子遺作展を見に行った。
岡田さんは、羅針盤で現代陶芸を発表していた。
北欧を旅し、ノルウェーの森をイメージし、蒼い渦巻き状の塔を何本も並べたインスタレーション作品で好評をえた。
底抜けに明るく、末期癌で闘病生活を送りながらも、次の作品の構想を語り続けていた。
天国に召される時が近いとヒョコリ顔を出された時も、「あのね、私ね、一度死んだんだよ。魂は身体から抜けていったんだよ。痛みもなくて,とても楽になったから,心配しないでね」と、いつものちょっと甘えたような声でささやいた。
それから、「一度、死んで幽体、離脱するとね、こゆさんの秘密も全部、見えちゃうんだよー」と怖いこともいう。
今日、GKというギャラリーに行ったら、なぜか、本人がまだ生きているんじゃないかと思うような気がしたが、やはり、もう二度と会えないという事実に気がついた。
ダリは、自分のことをダリは死ぬのかと問いかけ、しかし,神はそれを許さない、と日記に書き残しているように、何人もいずれ、死にゆくのである。
何故,絵が好きなのか?というと、死ぬのが怖いからなのかもしれず、愛する人と別れるのが悲しいからなのかもしれず、かなわない夢のような世界を夢想する人間の悲しい性なのだろう。

2008.9. 8.Mon

「大田和あさぎさんは、パリに住んでいるんですよ。」とある評論家に紹介。
すると、彼は、あさぎさんをじっと見て、「僕には日本人にしか見えない」と更に見つめるので「正真正銘の,日本人です」と一言。
栗色風の髪に,色白のほっそりした顔立ちで、西洋の人形みたいだ。
あさぎさんは、パリに渡り、三年目を迎える。アーティストビザで、留学し、絵を描いているが、パリは物価が日本の倍で、作品が売れても、税金も高いため、生活は苦しいという。
昔、森有正という哲学者がフランス語で書いた日記を翻訳で読んだことがあるが、フランスで日本人が感じる憂鬱と孤独は、壮絶だ。
森有正には,フランス人の恋人がいた。
その恋人にむけて,フランス語で語りかける日記なのだが、深い孤独に比例するように、愛は深まるのだということがわかる。
あさぎさんの日々の様子が手に取るように分かるスナップ写真のような一枚一枚の絵から、光と影,昼と夜のコントラストが浮かび上がる。
夜の街頭と白い月。
朝の白いもやのかかる公園。
南フランスの陽光を浴びながら、ふり向く少女と自転車の大きな長い影。
一番印象的なのは、苦悩する手だ。
手の表情だけで、フランス人の若い男性の苦悩が読み取れる。
深く刻まれたしわがない手。
苦悩も孤独も、森有正の孤独や愛には遠いだろうけれども。


2008.9.10.Wed

メダカのふ化

このところ、祈祷づいている。
精神病理ゼミで学んだ事例に幾つも当てはまる実際の事例に、なんと20年経った今、マイギャラリーで直面している。
教師になってから今一度取り組んだ専門領域は、障害児で,主に自閉症に興味を持った。
叔父が児童精神科医の草分けのような仕事をしていた関係で、周辺領域の精神病などの臨床から、ユングやフロイトに始まり、あらゆる検査法などにも首を突っ込んだ。
叔父と一緒に交流分析のワークショップなどにも参加していた時期もある。
残暑も和らぎ、涼しくなると色んなムシが湧いて出てくるというが、人間も虫と同様、生き物なので、なにかとごそごそと活動を始める気配がある。
地域住民に強制入院させられていたという(この話も事実かどうかも怪しいが)作家は、晴れ晴れとした顔で元気にギャラリーに訪れた。
立ち去る時に、「これからは,哲学書でも読んで治します」という。
それを聴いていた作家に、『昨日、人にあげた水草にめだかの卵がたくさんくっついて,いっせいに
生まれたんだよ、ははー、めだかのふ化でも見た方が良いよ』と、リアルな助言をうけていた。
私は、「緊急なことがあっても、連絡してくんなよー、何の役にも立たないからね」と冷たく言い放った。
「同情するならカネ上げる」くらいの気持ちでつきあうくらいでないと、付き合えないというのが本音だ。

2008.9.18.Thu

しっぽがない絵

父が急病にて入院したため、急遽、実家へ帰省していた。
才能あふれる作家を残しては帰りたくなかったが、もし,父と最後の別れが出来なかったら、後悔するかもと思い,思い切ってお見舞いに帰った。
加藤優香の作品は、今年の卒業制作展で見ていた。
圧倒されそうなエネルギーで、時代を凌駕する新星と直感した。
ナイーブな感性と抑制する知性のバランス。
痛覚をともなう胎内回帰の感覚は、時代の病理も背負っている気がした。
それは彼女の無意識がそうさせるのか,いや,そうではない,と思った。
時代が彼女を選んだのかもしれず、それは少女特有のセンセーショナルな内面に呼応していた。
構成力や空間の把握は、先天的なものであり、色感は、彼女のこころの闇の深さであり、画面を甘いものにさせない抑制力は彼女の知性が凌駕するからだと思った。
色の濃淡やにじみ、縫い合わせるように糸を紡ぐ行為などによるマチエールのこだわりは、皮膚感覚から発したものであり、それを云々する気もなく、まったく日本画の伝統や技法にとらわれない、『しっぽがない』絵画であった。
『先生のしっぽがないねえ,ないどころか,先生を踏みつけて歩いてるよ』と画廊で朝食のおにぎりを食べながら福の神は云った。
海のそばで育った優香さんは、家に住んでいたヘビの抜け殻や猫の皮膚や真っ赤な夕焼けのスナップなどのネタ写真も公開展示した。
子宮や胎内で細胞が動きだし,血が巡る感覚.
それが生きているという事なのだが、痛みがあって初めて,生きているという事を感じることもある。
リストカットを繰り返す少女のように、痛みを感じなくては生きて行けない,そういう病理を背負った時代を映す鏡としての絵画を彼女の絵から感じたのであった。
3日を留守にしてたいそう気がかりであったが、名古屋から気の置けない友人のギャラリストが彼女に作家としての心構えというか、なにかと語りかけてくれたという話をきいて、うれしかったし、ありがたかった。
心優しく、頼もしい友人はかけがえのないものだと思う。

2008.9.21.Sun

池田満寿夫との出会い

父の状態が思いのほか悪く、実家に帰省した。
空港には、中,高と仲良しだった親友のむっちゃんが迎えにきてくれた。
着くと車の中にチョコムースとおいしい霧島の水が用意されていた。
とても嬉しかったし,心強かった。
親友のムッちゃんは、中学では、明るく楽しい性格で、大変な人気者だった。
私のふるさとは、九州でも有数の僻地、特攻隊の基地、鹿屋だ。
母校は,80周年を迎える伝統校で、80周年記念に、各界で活躍する卒業生の授業が予定された。
画廊経営者として、私にもお声がかかっていたが、結局、ギャラリストの私ではなく、同級生の大学教授にお声がかかったようだ。
僻地なので、芸術や文化とはほど遠いからか、私はおよびではなかったらしいが、こういう不毛の土地だからこそ、誰もが目指さない芸術家の話とやらをしたかった。
高校時代の塾の先生のところに文学部の現役大学生達が集まり、同人雑誌を創っていたが、私も高校生ながら、つたない詩を書いては投稿していた。
その当時、「エーゲ海にそそぐ」で芥川賞作家の池田満寿夫を知り、現代美術に夢中になったのがきっかけで、今に至ったと思っている。
池田満寿夫の版画集やエッセイ集は、高校生の自分には、充分過ぎるほど,刺激的だった。
残念ながら、一度も御会いする事ができなかったが、池田満寿夫の本は、バイブルのように読み尽くしたものだ。

2008.9.21.Sun

舟越桂展

今日は,午後から用事があったが、夕方になってから、急いで、雨の中、庭園美術館で最終日となった舟越桂展を見に行った。時間ギリギリだったが、なんとか間に合った。
アールデコの瀟洒な建築も同時に、堪能出来て大変素晴らしい展覧会だった。
デッサンもすばらしかった。
会場をあとにして、庭園を散歩するのもいい。
小雨が降っていたが、夕刻からの土砂降りに駆け込むようにして、庭園美術館のレストランに入る。
いちじくの天ぷらのゴマだれあえに竹筒に入ったうなぎすしとビールがおいしかった。
美術館のレストランで食事するのも,美術館に行く楽しみのひとつだ。
いつもひとりぼっちだが、作品を見たあとの軽い興奮で身体がほてっている。
やまない雨も心を潤すようで、孤独な心地よさがあるだけだ、

2008.9.24.Wed

漆絵

上野真由さんは、油画の起源に対する技法的な関心を寄せており、芸大在学中から油画が500年なら漆は9000年前からあるという漆に魅了され、何度もベトナムを訪れ、いずれはハノイに留学したい言っていた。
何事も粘り強く取り組む真由さんは、念願かない、高倍率の文化庁の海外留学生となり、ベトナムの伝統的な漆絵の技法を熱心に学んだ。
昔、少数民族の村に行き,フックンという男の子の絵を描いた。
聴くところによると、留学中に、成長したフックンにも会えたらしい。
真由さんの「ハノイ便り」というブログによると、世界遺産はもとより、あちこちの洞窟,少数民族の村などを訪ね歩いている。
ベトナムには少数民族の村ががたくさんあるらしい。
一年の留学を終え、ベトナムから日本に帰国したまゆさんは、ハノイで展覧会を予定しているから、その頃、現代美術館の学芸員さんと一緒に来てねと言った。
予定通り、季節の良い11月にベトナムに行ったのだが、その時の衝撃は今も忘れられない。

2008.9.26.Fri

ベトナム料理

8年くらい前に、国立近代美術館は建設中だったため、国立フイルムセンターに所帯を置いていた頃、
ベトナムアリスというクイーンアリスの姉妹店がここ、京橋のフイルムセンター内にあった。
人が呆れるほど、毎日通いつめ、とうとう、ここの女性の店員さんが私が来るとビールをごちそうしてくれるようにまでなった。
さらに、あり得ない事だが、あまりの熱心さに鍋ごとカレーをもって、画廊まで運んでくれるようになった。
そんなベトナム料理好きを知っていた、まゆさんがベトナムを案内してくれるというので、喜んでハノイに行ったのだが、ハノイの空港に着いた日、もしかしたら、ベトナム戦争の最中ではと思うくらいの暗い空港内だ。そして、何となく淋しく、怖い。
しかも、時間になっても、真由さんは迎えに来ない。
場所ちがいであったため、やっと会えたが、おんぼろタクシーに乗り込み、雰囲気のありすぎるホテルに当直。
顔が引きつったまま、アオザイも買わずに帰ってきたが、今になってみると、もっと楽しめば良かったと思う。
真由さんの作品は、ベトナムのギャラリーでもひときわ個性的なので、評判がよかったが、日本でも好評。
今回の個展では、かなり売れたので、万々歳だった。良い作品は不景気にも関わらず売れるものだ。


 


   

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