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2008.8. 5.Tue

格闘してるか、いないのか

絵を判断する時に重要なのは,永田義信のタイトルではないが、「格闘してるか,いないのか」だそうだ。言い換えると、作家自らが楽しんでいてはいけないのであって、苦しんでいなければいけないのだという。
なるほど、良い絵かどうかの判断についてこう語った彼は、有能なるキュレーターだけあって、真髄を突いていた。
昨日、FM東京の出演依頼の話があった。
オールナイト日本のDJに憧れて、東京に上京してきたという彼に、是非、出演してきてもらいたかったのだが、『でる!でる!でたい!』を連発している彼をなだめすかしつつ、「20代の日本画の騎手」という限定だったため、四宮義俊を推薦。
今日の夕方5時、収録の直前、銀座は大雨だが、ラジオ局のある渋谷は、晴れていたらしい。
子供の頃から,朗読が大好きだったので、声優になりたくて,アナウンス学院に通ったことがあったが、鹿児島育ちのせいで、へんてこな、『かごっまべん』のイントネーションがとれずに、声優になるのはあきらめてしまった。
話はそれたが、田村正樹の今回の100号は,久しぶりに見た格闘する絵であった。
今まで見たことのないような階調に彩られ、空間構成がダイナミックで、やや破綻寸前のその危うさという点が気に入っていた。
400号ある大作は、評判の力作であったが、大きなうねりが一つの魅力であり、さらに繊細なところ、抜けるところ、情緒的なところの抑揚の美が大きなリズムを奏でていて、交響曲を聴くような心地よさがあった。
男性作家は、時折、大きな賭けに出る時を身体の装置として備えているのだろう。
今回の田村の個展には,賭けがあり、乗りこえる大きなハードルをもっと高いものに設定しようという,気概が感じられた。
私の一番好きだった『タイドウノトキ』というタイトルの100号の大作は、美術関係者の方が個人で購入してくださった。
これから、海を渡り、オーストラリアの地で日本の若い作家として紹介されるという。
日本の代表的なアーチィストとして紹介されるにふさわしい作品だ。
彼の今後の益々の活躍が期待される。

2008.8.12.Tue

制服フェチ

やっと夏休みに入った。
稗田勝実の展覧会も無事に終わった。最終日に、浜松から珍しい訪問者がやってきた。
早朝の掃除をしてもらっていたら、作家の稗田氏が大変驚いていたが、その訪問者は、かの有名な扉写真家であり,コレクターである。そして、羅針盤のパーティーの時には、にせソムリエも勤めた。
次の日から待望の夏休み。
新しいデジカメを購入したので、早速、カメラマンのオオモリイクエらを誘って、横浜のみなとみらいの近くまでアルゼンチンの帆船を見に行った。
しかし、驚いたことに長蛇の列。並ぶのはごめんなので、関係者のふりをしてなんとか乗船した。
キャプテンには会えなかったものの特別待遇のお土産もゲット。
2003年にアルゼンチンの大使の妹のアナ・マリア・ドナートの展覧会を手がけた実績をもつ、羅針盤としては、たいへん友好的な関係の国なのである。
今でも時々、大使公邸にてアルゼンチンタンゴの演奏会などにもおよばれする。
帆船に乗船しているのは、士官候補生たち。アルゼンチンのエリート将校たちだけあって、長身のイケメンぞろいで,胸は高鳴る。同行したカメラマンに『知らなかったなあ,制服フェチだったんだあ』と一言。
私が生まれたころ、父が千葉の海上自衛隊の教官をしていた。幼かった時に,父の生徒がたくさん家にきて、だっこしてくれたり、おもちゃを買ってくれた。特にお気に入りだったのは、動くブリキの豚のおもちゃだった。白い制服を着たお兄ちゃん達は、私の永遠の憧れなのである。

2008.8.12.Tue

リベルタ

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2008.8.13.Wed

アルゼンチン海軍

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2008.8.13.Wed

原稿募集中

昔から文才のあった教え子が原稿を送ってくれた。
ありがたい。
ブログに載せる原稿を募集しています。
皆様よろしく。

こゆ先生

田村さんの感想書きました〜☆ 先生が「万葉オタク」って言うから、ちゃんとそれを発揮してみたよ(笑) 誤字脱字がありましたら、ごめんなさい。以下、本文です。

ではでは☆ にーなより

山影を追って――『田村正樹展』感想
藤井仁奈

田村正樹さんの作品に出会ったのは、数年前の秋のことだ。彼は、持ち歩いていた鞄から、一枚の白い美しい絵画を取り出し、羅針盤のスタッフルームで拡げてくれた。一瞬にして私は、頭の中の世界を占領されてしまったのだ。春の霞がかったような、真っ白な光の世界。
 以来、田村正樹の東京で行われる個展を、私は数回にわたり見てきた。そこにはいつも白の中に浮かぶ山影のような焦げ茶とも黒とも表現しがたい心の闇のような存在を感じていた。
 今回のアートスペース羅針盤での個展では、ひときわ眼を惹いたのが「Genesis」だ。羅針盤の岡崎こゆ氏も、〈格闘する絵〉とブログで述べられていたが、その〈気概〉は確かに作品の中に存在していた。七転八倒しながら、苦闘の末に完成させた白くはない世界。むしろ、黒と焦げ茶の、破壊と再生の物語。ひょっとしたら、その物語のなかで、〈格闘〉の末に白の世界を破壊して、新たな天へと湧き立つ黒い山の物語を再生させたのかしら……。
 「Genesis」をゆうに半時間以上鑑賞したあと、再び眼を惹いたのは、やはり白の「韻」という作品だった。画面いっぱいに拡がっているのは、美しい品のある白の世界だった。作家は言った。「ある本の中に『気韻』という言葉があって、その文で使われていた『気韻』の意味と作品のイメージが重なった」と。つまり、〈気韻〉の白。それはまさに作家のこころの表裏を垣間見た瞬間だった。苦闘の黒と、品の白。予期せず、作家の内面の深さを感じてしまう。
 羅針盤のスペースを一周する私が、最後に惹かれたのは、「湧」。作家の基本的なモチーフとも呼べる「山影」のアルカイックな雰囲気が、そこには現れていた。それを見て安心感を覚えたのは、多分それが作家の心の奥底にある遠い記憶の、あるいはもしかすると日本人の記憶に脈々と受け継がれてきた原風景だからなのだろう。
田村正樹の絵画は、抽象でありながらも叙景詩のような感覚を鑑賞者の中に引き起こす。そういえば、こんな歌を思い出す――〈三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや〉。

2008.8.14.Thu

白い制服

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2008.8.22.Fri

サバイバル

羅針盤の決算は、8月である。
一年分の領収証をひっくり返し,足りないもの、だぶっているものなど、もう一度見直さなくてはならない。これで徹夜になることが多くて、目の周りが腫れてきた。
会計事務所には、女性が4人勤めているので、いつもちょっと豪華なケーキを手みやげに持って行くことにしている。
華やかな晴れの場のギャラリーには、いつも溢れるほどのお菓子があるが、会計事務所は、なんとなく殺風景なので、豪華なお菓子だけでも、大変喜んでくれるような気がする。
今は明るい三人娘の展覧会。
若くて、きれいで、才能にあふれていて、なぜかそれだけでこの世の中の悩みなど吹き飛んでしまうんじゃないかと勘違いしそうだ。
しかし、現実は,今日父が心臓の手術をしたという暗いニュースだ。
今は落ちついているらしいが、死なないんじゃないかと思うくらい丈夫な人だったので、ちょっとびっくりしている。
弟の子供によると、『海に行くじいちゃんはめったにおらん』らしい。
75過ぎた今でも海に泳ぎに行く、船で釣りに行く、畑は耕すなどのサバイバルおやじなのである。
今はサバイバルじいちゃんとして、孫に人気なのだ。
山に行く時は、路なき路を行く。草をかき分けながら,突き進み、出口ならぬところから脱出をはかるという術を小さい時に身につけさせられた。
一番、嫌だったのは、流れの早い川に行き、魚のいる場所を泳いで見つけさせられることだった。
私の見つけた魚の群れに父は、投げ編みを投げ込み、あゆなどの高級魚を一網打尽なのである。
それまでは,海の漁師に「闇雲に投げちゃあかんなあ」と笑われていたのであるから、この方法は間違いがなく、確実に魚を射止める方法なのである。しかし、友達にこの姿を見られたくないなあといつも思っていた。
そんなわけで、父は私に「お前をどこでも生きて行けるように育てたぞ」と自慢げにいうが、なぜか東京の銀座というど真ん中で暮らしているので、このサバイバル経験は何の役にも立っていない。東京のサバイバルはやや様子が違うのである。
この野性味溢れる父と芸術や文学をこよなく愛する心優しい母のもとで育った私であるが、しぶとさや
タフさや根性は、幼き頃の父のおかげで身に付いたものだろう。


 


   

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