不思議な絵です。
菱田春草の「落葉」を思わせる、
背景描写を省き、苔むした樹木の幹と地表をだけ描いた大作には、
意外なことに魚が泳いでいます。
「松にシーラカンス図」においては、
そんな非現実的な関係性は、更に確信的になっています。
恐らく、「奇を衒う」とは異なる次元の装飾性と思われます。
おたがいに自律した存在を同一画面に置くことで、
無関係であるが故の関係性が生まれます。
その鑑賞者の内部に生じるざわめきは、
様々な形式が出そろった現代美術において、
意外な風穴になりえる。
そんな印象でした。