ニュ―ジーランドにすむ編集者の友人がブログをやっていた。
とてもおもしろい。
楽しそうだなあ。
文章がうまい。
児童書の編集者なので当たり前だが、こういう親しみやすく、癖のない文章って、そうそう書けるものじゃないんだよ。
と、ここまできて、昔、大好きだった植草甚一の口調になってきた。
恥ずかしいけれど、こんなふうに私を見ていてくれたなんて、ありがたいじゃないですか?
励まされるなあ。
風通しの良い画廊
東京の京橋で画廊を営むOさんのブログを久しぶりに拝見した。東京の出版社で働いていたときに、画廊を始めて2−3年目くらいのOさんと知りあった。Oさんは前職が編集者だった。そのせいもあって、はじめてお会いしたときから話が合い、もう長いこと知りあいだったかのような、親しみやすい空気をまとったひとだった。私もいつしか仕事の合間に足繁く通うようになった。
Oさんの画廊はいつも明るく、風通しがよかった。作家さんたちもユニークなひとが多かった。そこでひとを紹介していただいたり、紹介したり。ひとが集い、作品に出会い、そこから新しい繋がりが生まれる場だった。Oさんは親しみやすいひとだけど、そこは東京の一等地で画廊を切り盛りするギャラリスト。ひとと作品を見る目は鋭く、厳しく、力のある作家さんを抱えては、彼らを現代美術界の第一線に送り出して来た。
そんなOさんの画廊もそのキャリアも今年で10年になる。
「画廊は10年目を迎え、やっと人と人とが繋がって、低空飛行ながら、軌跡を描いて今がある。」
Oさんがブログに綴った言葉。ひとつのことを10年続けるというのは生半可なことではできない。ましてや相手は「表現者たち」。誰もがもてる手腕でないことは容易に想像できる。飾らない言葉の裏に、10年の重みを感じた。彼女の画廊の名は『羅針盤』という。作家さんたちの進むべき道を示す場にしていければいい。いつだったか由来をそう教えてくれた。
懐かしさのあまりメールを出したらすぐに返事をいただいた。
おなじみの作家さんたちの近況も綴られて、最後に「羅針盤ファミリーは健在よ」で結ばれていた。嬉しい一言。当時駆け出しの編集者で毎日が必死だった私の拠り所だった羅針盤。
Oさんと作家さんたちの航海はまだまだ続く。時折その船に立ち寄る私はさしずめ渡り鳥か?
Oさんの真摯にひとに向き合う姿。おこがましいことだけど、私は密かにOさんを目標として、その軌跡を追いかけつづける。