根崎さんは、北海道の雪の多い地域で育った。
作品の基調であるホワイトは、雪景色であり、彼女の原風景だという。
有名女子大の付属のミッションスクールの寄宿舎で過ごした彼女は、クリスチャンであり、モチーフのクロスは十字架を意味する。
コラージュに使われているコーヒー豆の袋は、ブラジル、キリマンジェロなどの文字が入っている。
布や紐のコラージュにドリッピング手法。
私の母も弟も何を隠そうクリスチャンである。
私もミッションスクールの親愛幼稚園の卒園生だ。
何かと節目には、手を合わせて、天にまします我らの神よ,,,,,と自然にお祈りしてしまうくらい、なじんでいるにも関わらず、洗礼は受けていない。
私は小さい頃は、たいへんな泣き虫だった。
この親愛幼稚園では、若くてハンサムでやさしい牧師先生がいて、みんなと遊んでくれていた。
引っ込み思案な泣き虫の私は、遠くからみんなを羨ましげに眺めていた。
この幼稚園で、生涯、忘れることの出来ない衝撃的な事態に直面した。
水洗便所のなかった時代だ。
うっかりして、ドボンと半身が落ちたのである。
この時ほど,死にものぐるいになったことはない。
ハッシと便座につかまり、這い上がったのであるが、二月の厳寒の朝、凍り付くような日、冷たい水で全身を洗い、しぼったタイツを再び、はいて、何事もなかったように、教室に戻った。
この時は,なぜか泣かずに耐えた。
根崎さんの個展のタイトルは「thePassinであり、冠詞のtheをつけることでキリストのご受難を意味する」、とあるが、まさに受難とはなんたるものか!
イギリスの小説家、オスカーワイルドは、戯曲の中でこういったらしい。
we are all in the gutter ,but some of us are looking at the stars.
[我々は皆、下水溝の中にいるのだが、私たちのうちの何人かは星を見上げている]
幼稚園の先生には助けを求めず「神様、助けて」と、下水溝、いや便所の中から天空の星を見上げて叫んだ。
どんな境遇の中でも、星を見上げようではないか?
しかし、悲惨な死を遂げずにすんだだけでもありがたい。
小さい魂にも、神様は宿っていたのである。