ベケットから浅井昭へ
From Samuel Beckett to Akira Asai

サミュエル・ベケット生誕100年記念展
The Commemorative Exhibition on the Centenary of
the Birth of Samuel Beckett

2006.10.2.mon.〜10.7.sat.
11:00〜19:00
※最終日17:00まで


ベケットが開いた浅井昭の空間

近藤耕人(こんどうこうじん)

 今年はサミュエル・ベケット生誕100年で,ダブリン,東京を初め,世界で記念の演劇祭やシンポジウムが開かれている。アイルランドに生まれパリに住んだノーベル賞作家の戯曲『ゴドーを待ちながら』は世界の演劇に革新をもたらしたが、私は1960年頃、ベケットのラジオ・ドラマ『埋れ火』を聴いて底知れぬ物語の深みに感動し、テレビ・ドラマ『ねえジョウ』を読んで、浜辺の砂利にうつ伏せて自殺をはかる女の正の顔と砂利の凹面の負の顔の相接した立体像の語りに興奮し、浅井氏に話したことがある。私の話は映像的だとか、間を感じるとかいいながら、このベケットの話がどれほど浅井氏の身体楽器の弦を震わせたかは、30年後に告白されるまで知らなかった。浅井氏はその後日本の現代絵画に衝撃を与え、意表をつく理論,技、発想で人を驚かしてきたが、その視点の転換の発車ボタンを押したのがベケットだったとは、本人以外にだれも知らなかっただろう。ベケットはたしかに美術とともに生き,画家と共感し合った。セザンヌを尊敬し、自身が文学史のセザンヌともいえ、既成の言語の価値を否定したり、追求したりした。

 浅井氏はベケットから「芸術はこういう自由な発想で創っていいんだ」と教わったという。今までの絵画の枠から踏み出し、反転させたり、外を内に取り込んで制作を始めた。絵の空間を舞台ととらえ、自ら演出し、主題に演技させた。浅井氏の立体表現はさながら舞台装置になり、そこで楽しむ遊具や楽器になって、観る者に茶目の感覚を与えた。

 そこは大人の遊園地だ。まわりの画家が神妙にかまえているときに、浅井氏はサーカスの調教師が杖や鞭を操るように、筆や鋸を巧みに使い、ほくそ笑んでいる。それは言語と取り組んで七転八倒しながらもらすベケットの苦笑いに似ている。それを見て観者も笑う。自由になっている。

(近藤耕人 日本サミュエル・ベケット研究会代表幹事、明治大学名誉教授)


 


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