画廊企画
横尾龍彦展
BLAUE SERIE

2006.4.17.mon.〜4.29.sat.
※日曜日は休廊
11:00〜19:00
※最終日17:00まで


横尾龍彦『青の時代』 ― 内なる光をみつめ

横尾龍彦は己を知るために絵筆を持つ。
己について考え続けている。
座禅を常とし、緑豊かな秩父のアトリエの頂にある瞑想部屋で過ごす時も、己を見つめ続けているのだ。

 1970年代、新宿・ゴールデン街で井上光晴や澁澤龍彦、種村季弘といった文人たちと飲み歩き、赤や黄色の電飾にまみれ酒をあおって話し込んでいる時でも、頭の芯はきりりと冴えて、澄んだ目で浮世を見つめていたはずだ。横尾はこの頃からすでに自身の厭世的な資質を感じ、聖なるものや静かな世界に惹かれていった。
 これまで何度も渡欧していた横尾は、慣れ親しんでいたドイツへ再度渡った。
1979年春、48才だった。
真に制作に打ち込むには、日常を遮断し、思考と瞑想、集中力を持続させる環境が必要だったのである。その時、彼の心は穏やかだったか?それとも疲れ切っていたか? …そうではない。情念の炎を静まらせるための「色」を見つける旅だったのではないか。自分の内面の世界へ深く沈む旅。そこで彼はようやく「青」を見つけた。滅私した時に、はじめて見えてくる色だ。一人になってゆっくりと瞑想する中で見えてくる世界の断片を、横尾はこの時期にさかんに描いている。横尾龍彦の「青の時代」だ。

 70年代後半〜80年代前半、おもにドイツで制作された作品群を作家は「青の時代」と呼んでいる。そのいくつかの絵には、まだ人の姿を残したものが見える。あるいは動物や植物、岩などの一部が見える。それが溶け出して青の世界と交じりあう。人の思念が、肢体が、溶け出す時、世界と交わり、天然の、永遠の、恐ろしく澄んだ光の中へひとつになってゆく。闇に沈むものもある。そのありさまが流動感に満ちて描かれている。聖書を題材にした作品もあり、断罪や応報を思わせるが、宗教画に見られる無数の人体のように、神を恐れ加護を待っている「民衆」の役割が描かれているのではない。一人一人が苦しみや怒り、優しさや喜びといった「感性」を表現し、あるいは、無表情に透徹したまなざしを世界に向けている。しかも、風や火の精のようにゆらぎ、水や土の一部と化して世界全体と関わり溶けている。これは世界の成り立ちや万物流転の現象を象徴した絵画ともいえるだろう。技法、テーマ、集中して描く方法など現在の横尾の方法論につながってゆく。

 彼の制作の根本にある、目を閉じて暗闇を見る法は、古代の魔術的芸術の潮流とも重なって興味深い。私たちは画家の内的世界を通って、広大無辺の無意識の世界を覗くのだ。美の根源を垣間見、畏敬しながらも悠然としているこの画家の瞑想と覚醒のディスクールをわれわれも辿るわけだ。そこは鏡の間で自分の分身と向き合うような場所である。なにが見えるか? 絵画を見る楽しみのひとつは、自分になにが見えるか、である。じっくりと味わえる絵画は、それ相応の作家の魂の時間をかけたものなのだ。

 現在77才の横尾が描くキャンバスには、あたたかさがある。鋭い眼差しに厳しさを感じさせる横尾が、破顔一笑、人を歓待する時と同じ優しさだ。激しい青春時代と深い内省の時代を経て得た、あたたかな伴侶と共に暮らす現在に、横尾の人生の一端がみえる。人生は決して空しくはない。そう力強く禅答しているようだ。瞑想の奥深く、黄金の曙に包まれて、真珠のような卵型のものが静かに眠っている風景…。幸福で、しかも哀切に満ちた神々しい光を描くようになった。それも、底知れない天然の恐ろしさと向き合い、魂を研ぎ澄ました「青の時代」があってこその現在であろう。

中村共子(美学・フリーランサー)


青の時代

私は東京の喧騒を離れて、いつかは瞑想と制作に没頭したいと長く念願していたが、1979年その思いが叶ってドイツ人コレクターの招待を受けたのを機会にドイツに渡った。それは生きる為の日常生活から解放されることと同時に、一切の社会的係累を失う事でもあり、現実的には逼塞をかこつ事になる。しかし芸術の自己実現を切望する内的衝動は強く、一切を捨ててドイツの片田舎のアーティストレジデンスに移り住んだ。
 知人も少なく、言語も不自由な異邦での生活は、今まで外に向けられていた私の視線を、自らの内面に向ける事になった。語り合う友もなく来る日も来る日も、北欧の寂しい風景の中を散策した。夕暮れの見はるかす地平は永遠憧憬の詩情に私を誘うのであった。
 黄昏、辺りが次第に闇に包まれ、やがて漆黒の夜気が天から降ってくるあのわずかの合間、太陽はもはや地平の下に隠れてしまい茜色に染まった残照をすらも徐々に奪ってしまい、森の木々も牧場も点在する家もその固有の色を失って、モノトーンの一刷毛で染められていく。10年もの間、私の心象風景は深いウルトラマリンブルーの薄明の中を鎌倉街道を通り、アッピラ街道を過ぎてジョンバンヤンのように天路歴程するのであった。人生には実体はない。様々な体験も、喜怒哀楽も夢の中の出来事のようで忘却の河が 押し流してしまい、今は何も手にすることは出来ない。然しここには私の人生から切り離されて青いトーンの作品が残されている。
 現代芸術の状況は常に未来を目指しており流行は目まぐるしく変化していく。もし芸術家が安易に外なる流行現象に対応しようとすれば、彼は何時までも自己完成を見ることはない。私は1975年から10年間現代芸術の流れに逆らって只管自らの内なる青を見続けた。それは社会からも情報からも隠遁することであつた。・
 1985年頃から青は次第に退潮し、黄色が、太陽の光が画布に差し込むことになるのである。1978年から禅に参じていたのが段々実を結び本来の自己が、表層に実現してきたのである。芸術は捨てることによってしか前へ進むことが出来ない、自己が形成した様式に慣れて繰り返す事を許さないのである。伝統芸術は模倣と技術の修練を重んずるが、現代芸術は破壊と、未知なる世界の創造を要求するのである。1985年ケルンのドイツ人作家達との交流によって私は再び自己の外に、現代世界の働きの中に身を投ずるのである。あれから既に20年が経過し人生の終わりを迎えた今、捨てたと思った青の時代が再び甦って青い地平線へ、出離へと私の視線を誘うのである。

横尾龍彦


ルドルフシュタイナー「色彩の神秘」より抜粋     西川隆範訳

黄は外に輝き、青は内に輝きます。青は自らの中に輝きを集めます。青を描くとき「私は自分の中に収斂する。私は自分の内部に身を引きいわば私の周りに殻を作る」そして青に一種の殻を与えるように描く。〜青はうちに集まります縁でせき止められて、内に保たれます。青は心魂の輝きです。


横尾龍彦 略歴

1928年 福岡に生まれる。東京芸術大学日本画科卒
1965年 第1回渡欧、シトー会奨学金パリ・ジュネ-プに1ヶ年居住、中世美術の研究。
1972年 イタリア旅行、ローマに1年滞在、ローマ幻想連作
1973年 画集『幻の宮』芸術生活社より刊行。
1975年 古典油彩技法研究のため、ベルギー、ドイツ旅行、ウィーンに1ヶ年居住。
1977年 ドイツ、スペインにてボッシュに傾倒、ヴォルブスベ-デ滞在
1978年 ルドルフ・シュタイナー研究会高橋巌教授のセミナーに参加
1978年より鎌倉三雲禅堂、山田耕雲老師に師事、以後毎年接心、独参を受ける
1980年 ドイツ移転、オスナブリュックに居住B・B・K・ドイツ美術家連盟会員
1985年 ケルン郊外に居住,現在ベルリンと秩父にアトリエを設け東西を往来
1989年 東京サレジオ学園の聖像彫刻、吉田五十八賞受賞
画集「横尾龍彦(1980〜1998)」 ドイツ国ブランデンブルグ州にDr肥沼顕彰碑を建立

● 個 展

1965年より 数多くの個展、スイス、ウイン、東京、西ドイツ各都市で開催
1975年 ギャラリーミキモト 76年ギャラリー・チェントルム、ウイン
1981年 ギャラリー・コンテンプラン、スイス・ルードビッヒ・ランゲ、ベルリン
1983年 永井画廊 1984年ヴュルッブルグ市立美術館
1985年 ギャラリー・ルードビッヒ・ランゲ、ベルリン
    オスナブリュック市立美術館、ケラリー・ギャラリー、ヘルシンキ
1987年 『東と西のはぎまにて』横浜高島屋
1988年 オスナプリユック


 


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