ホリグチシンゴ 個展 FUZZY CRAW

2020年10月19日 - 2020年10月24日

ホリグチシンゴ HORIGUCHI Shingo

Mail-adress: doradorashingo129.3@gmail.com

Homepage: syrocmaunderworld@tumblr.com

経歴

1993京都市生まれ
2016多摩美術大学絵画学科日本画専攻卒業
2018多摩美術大学絵画学科日本画研究領域修了

個展

2017The Field and Daylight / ガレリア青猫(西荻窪)
The Field and Daylight / montanO-librO(船橋)
2018The Field and Daylight 2.0 / アートスペース羅針盤(京橋) Drone’ s eye(half a person)/ gallery tagboat(人形町) 2019
Vapor under the city / 数寄和(西荻窪) BEAST/HUMAN/MACHINE 亀戸アートセンター(東大島)

グループ展

2020 年羅針盤セレクション 杉山佳 / ホリグチシンゴ / 水谷栄希 三人展
2018 年助手展 / 多摩美術大学アートテーク(’ 2019)
神山財団第 3 期奨学生卒業成果展 f.e.i art museum / 横浜
2017 年第 4 回未来展 日動画廊 / 銀座
多摩美術大学院日本画研究領域二年次展 佐藤美術館 / 千駄ヶ谷
2016 年多摩美術大学絵画学科日本画専攻卒業制作有志展 PORTAL ストライプハウスギャラリー / 六本木
CROSS REVIEW アートスペース羅針盤 / 京橋

賞歴

2018ギャラリーへ行こう 2018 数寄和賞
ndependent Tokyo TAGBOAT 特別賞
2017金谷美術館コンクール 2017 入選 
第 13 回大黒屋現代アート公募展 入選 / 板室温泉大黒屋(那須塩原) 2016
ギャラリーへ行こう
2016入選 / 数寄和(西荻窪 , 大津)
神山財団 第三期奨学生
2015八王子市夢ビエンナーレ 奨励賞 / 八王子市夢美術

キャンバスにメディウムを塗り、乾く前に画面の上から岩絵の具を粉のまま撒き散らして定着させる。ばら撒 かれた岩絵の具は空気の流れに乗ってコントロール出来ない場所へと漂着し、画面の上で曖昧な 輪郭が色彩と 共に立ち上がる。絵画を作る一つの新しいアプローチとして思いついたこの手法を、自分でダスティングと名付 け、冬の終わりから実験を繰り返していた。

ここに展示されている全ての作品はダスティングと自分が勝手に呼んでいるその手法を軸に制作したが、それ ぞれの作品が絵画として自分の中で成立していく過程と条件は様々だった。それは自分の制作が全て場当たり的 で、画面の上で即興的に行った作業に対して、更にどうやって作品に落とし込んでいくかという検討を繰り返し ていくからだと思う。制作を進めていくと、あるどこかの時点で、目の前にあるそれが急に自分の作品にとして 成立したと感じる経験をする。そこに辿り着くまでの過程で自分の中の絵画に対するスケールの外枠は揺れ動き、 一時的な姿へと変化する。

ダスティングと自分が呼んでいるこの絵画へのアプローチは手法と呼べる程、自明性(こうすれば確実にこう なるという保証)が確立されていない。 自明性がないからこそ、予測できない経験を通して自分が絵画として 認識できる領域を壊して書き換えることが出来る。書き換えられた領域から自分が再び何を作り出すのかという ことが、制作を日常的な営みとして継続していくための興味に繋がっている。

この手法で作品を作り始めてある程度経った時に、出来上がってきた物の中で自分の作品として成立している と感じたものと、成立していないと感じたものを選り分けてみた時に気がついたことがあった。 それは自分の 作品として成立していると感じたものは画面から眩しさ、つまり光を感じるということだった。自分の作品から 光を感じるということは、自分にとって非常に新鮮な体験で、なぜならダスティングを始める前の自分の作品は、 絵画の仮想空間の中で起きる、光学現象を全てないものとして扱い作品を制作してきたからだ。

ダスティングによって制作された作品を見た時に自分で感じた眩しさというのは、木漏れ日を下から眺めた時 に光を感じるように、画面上に絵具が乗っていない白の部分から、見ている目に向かって垂直方向の光を感じる ような感覚だった。画面の中で最も明度の高い白が、それ自体発光しているわけではないのに光っているように 感じるのは錯覚だ。しかし、画面の中で色と形と余白の組み合わせによっては人間の視覚は光っていない平面を 光っているように感じるというイリュージョンがどうも起こるらしい。そのことが、自分が作ったものが自分の 作品として成立するかどうかにどうやら関わっているようだ。というのが今回の制作を通して、自分が絵画の スケールの中で得た新しい視座だと感じる。