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死生観

最近、死生観という言葉を良く耳にする。臓物をだらりとぶらさげた美女図。
職能(ご飯を食べるための)としての画家というものがあるとすると、職業画家にとっていままでそこは一番近づいてはダメなジャンルでした。そういう作品はたいてい生きているうちにお金になりません。しかし、そこに大スターが生まれて有名人となり、下図が数千万で取引されたとなると、死生観を唱える声がそこかしこに出てくる。
アートは単なる装飾ではなく、太古から、土偶や洞窟画をはじめ、作り手をとりまく時代の死生観を映してきたので、いまさら声だかに「死生観」を唱えるのもなんだかな感が強いけれども。
強烈なタナトフォビアに罹っている画家ならばおいておいて、薄っぺらくファッショナブルに「死」を弄ぶことは、とても気恥ずかしい。
特に、3.11でくり返し流された濁流の映像の底に、有無を言う間もなく奪われた命が何万もあったという事実は、美しく臓物をさらけ出す、というようなファンタジーを軽々超えた。
土砂に埋まり、海陸の微生物たちによって急速に酸化させられ、地球規模の物理力でゴチャゴチャになった死体を、3.11以降もずっと長い間、丹念に探し、掘り出す自衛隊員たちの方が、制服故に誰だか特定できないぶん、死をファンタジーにくるんで司祭顔をしている有名画家よりも、もっと身近な死を悼む司祭にふさわしい。
あなたも、そして私もいずれ死ぬ。そして、3.11が教えてくれたように、遠い先ではなく、「死」はいつも私たちに寄り添っている。その全貌は、画家如きに分かるわけがない。だって私、まだ死んでないもん。

と、いうメールが来ました。
どうなのでしょうか?
今日は、朝から芸大の修了制作展をさくっと見ました。
単純には語れないということかな。

 


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